武藤校長による『芝漬流子育て』 vol.4
今こそ温故知新の精神で、昭和に生きた父、母からの教えに学ぶ。
6月の分散登校が始まったある梅雨の日、学校のピロティで傘についた雨のしずくを払い、しっかりと束ねて校舎に入る生徒を見かけました。
さらに、折りたたみ傘を自分の防水ケースや袋に入れてから入る生徒もいました。
そのまま観察し続けると、大半の生徒は傘をバタバタと振ってそのまま、または、傘を閉じただけでしずくをポタポタと校舎内に持ち込んでいます。
そんな生徒は、きっと自宅では傘立てにポンッと傘を投げ込んで、そのまま自然乾燥で持ち出すか、母の愛情たっぷりの乾いた傘を持ちだすのだろう。
言われればわかることを、その瞬間に判断してできるかは、小さい頃からの親の心掛けや声かけの賜物だと思います。
臨海学校や林間学校などの宿泊行事で、家庭の様子がよく分かるのがお風呂の入り方
近年では銭湯の頑固オヤジに叱られることがなくなった家風呂文化。思い起こせば、体を洗わず湯船につかりはじめたり、シャワーをかける時に飛び散る水で叱られる。
はたまた、湯船にタオルを入れて叱られたり、体をふかずに上がり、脱衣所のマットがビシャビシャになり叱られる。
そんな私も、両親やその場所を共有する大人に良く叱られたものです。
言われてもピンとこないこと、その瞬間ではわからなくても、自身が大人となり、親となり、自分の子供に同じことを言って気がつくこともあります。
家庭教育のあり方も、学校教育のあり方も変わってきました
ものすごいスピードで世の中が動く中、家庭教育のあり方も、学校教育のあり方も変わってきました。
核家族化やハラスメント問題が前提にある今の時代は、周りの大人がものいう機会も少なくなり、子供を教育する親の負担が大きくなっていることも事実です。
しかし、子供に本来教えるべき不変のものを見失ってはならないと感じています。電子機器や通信環境の進化に伴い、
新しく教えるべき不変なものは時代とともに増えているのも十分承知していますが、今のこのコロナ禍だからこそ、
昔から言い聞かせられた日々の生活習慣で必要となる不変のものをどのように伝えていくかを考え直していかなければならないと思っています。
私は新入生ガイダンスの時に、親御さんにこのようなお話をします。
お父様には「せっかく芝中学に入学したのだから、◯◯◯」という言葉をご子息にプレゼントしてあげて欲しい。
それは決して「勉強をしっかりやって立派な人になれ」ではありません、と話します。
お母様には、もしご子息が駄々をこねて「◯◯君はこうだよ」と何かを要求してきたら、「うちはうち、よそはよそ」ときっぱりと家庭の方針を伝えてほしいと申し上げます。
上述したあるご家庭の答えの◯◯◯は、「友だちをたくさん作れ」でした。
厳格な父から『友だち』という言葉が出てきて驚いた記憶があると、生徒から話を聞いたことがあります。
また、「〇〇君、スマホにしたんだよ」「スマホ買ってよ」に対して、「うちはうち、よそはよそ!」と母親が諭した後に、
「パパが〇〇にスマホを渡しても、ルールを守り自己管理がしっかりできて問題ないと思えたら、一番いいやつを買ってあげるよ」と言われた生徒もいました。
家庭の方針をしっかり理解している子供は、自然と何が正しいか、悪いことなのかを判断できる基準を、自分の中で持てるのだと思います。
皆様は日頃からどんな言葉をお子様にかけてあげていますか?
コロナ禍とかアフターコロナとかウィズコロナなどと言われていますが、全世界を巻き込んだ歴史的事実の証人として、
この『ピンチをチャンスに変えていけるのは君たちなんだよ!』と叫ぶ声が「傘立て」や「風呂場のマット」から聞こえて来そうです。
本校も、校訓である”遵法自治”と、仏教精神の一つ”共生”という言葉の再確認の作業に入っています。
第15代校長 武藤道郎